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Here is ZINE tokyo #12

 

Here is ZINE tokyo #12

 

トーキョー カルチャート by ビームス(原宿)で、油絵の作品集を販売します。

一般公募で、出品です。お近くの方はぜひ。

 

http://www.elm-art.com/zine/

 

 

 

 

ゴム焼き
 妻が、10年ぶりにCDを買った。 勝手にばらして申し訳ないけど、星野源のYELLO DANCERだ。
 しっかり聴いてみた。何かを思い出したと思ったら、小沢健二の「LIFE」との共通点だ。
それまで私小説的な音楽だったアルバムから一転、ニューアルバムではソウルミュージックをベースに音を作っている。 声とバックトラックに温度差があり、その違和感が文系男子のソウルミュージックなのだと思う。

 大きな違いは星野源の歌のうまさと自分をコントロールする(プロデュースする)才能で、きっちりアルバムとしての完成度をコントロールできているように感じる。 あー、なるほど、ここでこんなふうに転調するのかーとか、あ!こういう言葉をのせるのかとか、いろんな発見があるとてもよくできたアルバムだ。 けど、なんだか、かっこいいんです。

 小沢健二のよさは、申し訳ないけど、歌のほつれで、もう精一杯歌ってるのだけど、なんだかうまくいかない声の質。はっきり言って、はずかしさだとおもう。 話は、星野源にもどると、音楽として非常に器用に、元ネタをきちんと消化していることが、日本のソウルミュージックの進化だと思うし、日本人が日本人のアルバムをつくったって感じがして、とてもよいと思う。小沢健二はあえてだと思うけど、そのまんま、バックトラックを使うことが多く、海外アーティストへのあこがれがかいま見れる。ERIC KAZとか、そこ使いますか?って音楽ファンをうならせたんじゃないかと。
 星野源のアルバムはそんな劣等感がないアルバムなんだと思う。あくまでも、音楽に対してだけど。 星野源のファンは彼がこじらしてるのをラジオやらで知っていると思おうけど、音楽に対しては、こじらしていない気がする。パッケージがうまく、そのこじらせが表に出てないのだろうけど。

 ボブ・ディランの18枚組のCDがザ・カッティング・エッジ1965-1966(ブートレッグ・シリーズ第12集)がでた。『ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム』『追憶のハイウェイ61』『ブロンド・オン・ブロンド』の3枚のアルバムのセッションだけど、兄と話していて、この時代のボブさんはかっこつけてるなあと言っていた。確かに、ボブさんのこの時代、とてもかっこいいし、音もかっこいい。歌詞も難解だけど、イメージの連続でかっこいい。
 でも、ボブさんのプロディース能力か、まわりのプロディースか、影響か、ボブさんの本質は、もっとかっこわるいところにあるのかなっと。その後のアルバムの「欲望」の「sara」とか、聴くと、あーいいなあって思ってしまう。  
 Sara, oh Sara Don't ever leave me, don't ever go
サラちゃん、オーサラちゃんや、行かないで、行かないでよー。
って、勝手に翻訳すると、ほんとうに情けなく、かっこわるい。レコーディングに呼んで目の前で歌って関係修復したって言う逸話もあるので、ちょっと、ずるい歌って感じもするけど。

 10代、20代に音楽を歌詞までひりひりときいた感覚を求めてしまうと、星野源の言葉に僕はそこまでひりひりできない。歳をとったのかもしれないけど、ひりひりしたいなっとおもって、「the ピーズ」の「とどめをハデにくれ」を聴く。一曲目の映画(ゴム焼き)からこの歌詞だ。

風がふいて 
目にホコリが入って
車にひかれて まだ生きてる
痛いと感じる物を さがした

首をしめた オラ首をしめた
遠くまで自分まで ギュウゥとしめた

こんなにいい天気だってのに

わざとへんな フネにのった
イヤなもんを みていた

もういーよ いーよ いーよ いーよ
どっかで消しただよ フラフラんなって 最初から

僕は、この歌詞を聴いて、志賀直哉の「城之崎にて」を思い出した。
ひりひりした。
 
「Thelonious Himself」Thelonious Monk
「Thelonious Himself」Thelonious Monk

 
 
 18歳のとき、僕は浪人生活1年目でひたすらおなじ音楽をウォークマンで聴き続けていた。テープは5本。3本はボブ・ディランのブートレッグシリーズ。そして、あとの2本はThelonious Monkのhimselfとsolo monk。とにかく、2年くらい、毎日飽きることなく歩きながら、電車の中で、ひたすら聴き続けた。途中から、ウォークマン(テープ)からディスクマン(CD)に変えてあまり聴かなくなってしまったけれど。  
 とくにジャズを聴くきっかけとなったThelonious Monkのhimselfは、今までの人生の中で一番聴いたアルバムかもしれない。  

 絵の予備校で偶然そのCDを手に持ってた女の子から奪うように借りた。理由は簡単でその女の子がかわいかったからで。きっかけなんてものはじつに単純なものだけど、その女の子がどんな音楽を聴いてんだろうという軽い気持ちで聴いたら、よい意味で期待を裏切られて、ありじごくのようにその音楽からはなれられなくなってしまった。  

 たぶん、1998年ぐらいのことで、音楽的にはごちゃ混ぜな時代。アナログレコードが見直されてきていて、友達とよく中古レコード屋をはしごしたりしていた。買えるレコードは800円から1200円の間。それぐらい出せばいいレコードが買えた。月のこづかいはだいたい月初めにレコードに消えていったけど、今思えば、当たりのレコードを嗅ぎ分ける力はこの時期に培われたのかもしれない。そんな時代に僕はThelonious Monk himselfと出会った。  

 ブロックコード、不協和音、正しい言い方は専門家ではないのでよくわからないのだけど左手の音に夢中になった。とくにラウンドミッドナイトの30分くらいのアウトテイクは、どのように曲が、微妙な音の違いをなんとか理想のカタチに近づけようとするThelonious Monkのビジョンが伝わってきて何度も聴いたけど、聴けば聴くほどわからない。  

 音楽の才能は残念ながら僕にはなかったけど、たぶん、作っている人には理想の音が鳴っていて、それになんとか近づけようとしているのだと思う。僕は絵を描く人なので、その気持ちはよくわかる。その鳴っている音が、独自な音で、それが人の心を惹き付けてしまうのだと思う。  

 自分が絵を描く時によく悩む問題で、オリジナリティって必要ないのではと、思った時期があって、今でもその考え方は拭いきれてないけれど、Thelonious Monkの音はThelonious Monkにしか出せない。つまり、オリジナルなわけである。と、いうことはオリジナルというものは存在するのだけど、残念ながら僕には見つけられていない気がする。逆にオリジナリティがないことが良いと思う時期もあり、揺れ動いているのだけど、絵を描き続けていれば見つかる答えのような気がする。ときどきオリジナリティをはき違えて、人を驚かすことをテーマにしている絵などを見ていると嫌な気分になるので、心配性の僕はなかなかゆっくりとしか駒を進めないのかもしれない。  

 しかし、Thelonious Monkの音楽は今の僕にはすこし悲しすぎるので聴くことはない。たぶん、多感な時期に聴いていたこともあり、いろんな思い出が音楽にこびりついていて、よかったことも悪かったことも思い出してしまって胸が苦しくなるからだと思う。
 
「Paul Kleeがわからない」
 
 
 パウル・クレーのおわらないアトリエを2011年に見に行ったときの感想は、「まったくわからない」でした。  そもそもパウル・クレーに良い印象を持ってなかった(なんだか、奥さん、おほほほな感じがして)ものの、岡崎乾二郎さんのtwitterを見て、行ってみようと思ったのがきっかけだったのでした。  
  展示会場を熱心に見てまわるものの全くわからない。普段買わないカタログを買いまじめに読み解こうとしても難しい。僕のイメージしていたパウル・クレーの印象とずいぶん違うものでした。  

  それから、もう3年!ぐらいの月日が流れ、今日、池袋のジュンク堂をぶらぶらしてたら、とんぼの本のフェアが行われていて、「パウル・クレー 絵画のたくらみ」という本が目にはいり、購入して読んでみたら、ようやくすこしづつ、紐解かれてきました。  

この本はかなり対談形式でわかりやすい。パウル・クレーの絵画は常にビジョンがあり実践があり結果があるのでその結果がうまくいっている場合と失敗している場合があるのでさらにややこしくなるのではないかと思いました。  黄色と紫の補色を図式化した絵画とか、理屈はわかるがうまくいっていない作品も多いし、パウル・クレーの作品を展示する時この絵はうまくいってませんが、一応展示しますなんて説明がついていたらいいのだけど、その判断はこちらでしなければならないわけで大変です。常に実験現場をみせられてるのを紐解くのは苦労します。しかし、その絵を深く理解した時は、バラバラのパズルが一気に合わさったような気持ちよさがある。    

 昔、恩師の米倉先生がパウル・クレーを見といた方がいいと僕に言ったのだけど、15年かけてすこしわかってきました。15年は長いなあ。  パウル・クレーの絵を見るのはかなり気合いと知識がいることがよくわかりました。とさ。めでたし、めでたし。
 


















Japan senses 「日本のすてきなアソビゴコロ」日本橋三越本店


矢口加奈子 Exhibition 2013 Japan senses
日本のすてきなアソビゴコロ
日本橋三越本店 本館5階 スペース#5
10月16日(水)〜22日(火) 10:00〜19:00






kirigami works "button"¥1050−
GARDENS KANAKO YAGUCHI×KIYOSHI MATSUI Exhibition2013 展示の様子。





inu it furniture×kirigamimoyou
  http://www.inuit.jp/






「on the road」 ケルアックとキャシディーの写真をもとに制作。

額入り、パネル、シートの3種類の作品を展示販売しています。なぜかドストエフスキーはあと1点になってしまいました。





「蝶」 蝶々、蝶ネクタイの駄洒落です。

 僕はいろいろな人に僕の作品をみていただきたいし、気軽に楽しんでほしいと思っていています。そして、できれば部屋に絵を飾る生活が僕にとって理想です。
 なかなか難しい。絵を飾る生活って。自分自身部屋に2、3点小品を飾ってるぐらいで。今回の作品の1番のコンセプトは自分の部屋に飾る絵です。gardensがコラボレーションのテーマなのだけど、どんどん個人的なほうに作品がシフトしていきました。

 絵を描き始めて15年ぐらいとちょっとの歳月が経ってはじめて絵を描き始めた気持ちが戻ってきました。まるでまわり道をしてまた同じ場所にたっている気分です。ヴィム・ベンダースのまわり道という映画がすきで時々見返すのだけど、まさにまわり道です。自分で経験を積まないとわからない気持ちというか。

 珍しく気持ちが外に向いているので友達とかにちょっと変化に心配もされたのだけど基本的に僕はあまり変わらないので大丈夫です。いつでも穴蔵にこもって出てこなくなるような性格と盆踊りが大好きという矛盾したものが同居しているだけで。

ちょっと、関係ない話になってしまいましたが週末お待ちしています。

GARDENS KANAKO YAGUCHI×KIYOSHI MATSUI Exhibition2013


 僕は版画と絵画の間のようなイラストレーションを20点ほど展示します。
 Tシャツもすこし販売します。
  矢口加奈子はオーストラリアで展示した作品と新作のバッグ、Tシャツなどキリガミモヨウの最新作を展示販売します。
コラボの平面作品も。。。
 gardensをテーマにそれぞれ制作しましたが僕の方は少し個人的な文豪シリーズも制作しました。
 サイズはB5からB4ぐらいまでの小品です。今回、部屋に飾りたい絵が僕の裏のテーマで大きさも飾りやすいサイズにしました。展示まで1週間をきり、良い作品を見せれたらと思います。

 
GARDENS KANAKO YAGUCHI×KIYOSHI MATSUI Exhibition2013


[GARDENS] KANAKO YAGUCHI×KIYOSHI MATSUI Exhibition

2013 7.18(木)〜23(火)

 Open 11:00〜18:00 最終日17:00まで

Art space88  国立市中1-9-66 042-577-2011

錆びた扉を開けて 生い茂る緑をくぐり抜けると しっとりとした熱い空気に包まれた 心地よい小さな庭がある 夏の陽射しに生えるカラフルなキリガミモヨウの最新作と 画家・松井清による絵画作品をお届け致します。


book2

book2

 

 イメージが固まって来たので色より構図を中心に描いている。
始めの段階でコマのイメージが出来上がってきたのとテーブルのアイディアが固まった。book2はあくまでも実際にキャンバスに取りかかるためのものが多いのであえてゆるいスケッチにしている。下書きの段階でイメージがかっちり決まってしまうとキャンバスに描くときにかたくなってしまうのとそこで絵が終わってしまう感じがするからだ。

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 キャンバスの作品に取りかかる前に自分のアイディアを練るために10ページのスケッチブックを2冊、描いた。キャンバスの作品を理解するのに役立てていただければと思います。

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まだ、探りながらイメージをつくっている段階。2体のフィギアを制作しそれをもとにスケッチした。スポットライトを使う発想と色を楽しんで使っている。途中から寝ているポーズとか、テーブルの初期の発想、百葉箱などでてきているものの、このbook1でキャンバスの作品にしたのはP10のポーズとP15のポーズぐらいで全然固まっていない。終わりの方の壁に穴があいているイメージは思い切って捨てた。

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