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ゴム焼き
 妻が、10年ぶりにCDを買った。 勝手にばらして申し訳ないけど、星野源のYELLO DANCERだ。
 しっかり聴いてみた。何かを思い出したと思ったら、小沢健二の「LIFE」との共通点だ。
それまで私小説的な音楽だったアルバムから一転、ニューアルバムではソウルミュージックをベースに音を作っている。 声とバックトラックに温度差があり、その違和感が文系男子のソウルミュージックなのだと思う。

 大きな違いは星野源の歌のうまさと自分をコントロールする(プロデュースする)才能で、きっちりアルバムとしての完成度をコントロールできているように感じる。 あー、なるほど、ここでこんなふうに転調するのかーとか、あ!こういう言葉をのせるのかとか、いろんな発見があるとてもよくできたアルバムだ。 けど、なんだか、かっこいいんです。

 小沢健二のよさは、申し訳ないけど、歌のほつれで、もう精一杯歌ってるのだけど、なんだかうまくいかない声の質。はっきり言って、はずかしさだとおもう。 話は、星野源にもどると、音楽として非常に器用に、元ネタをきちんと消化していることが、日本のソウルミュージックの進化だと思うし、日本人が日本人のアルバムをつくったって感じがして、とてもよいと思う。小沢健二はあえてだと思うけど、そのまんま、バックトラックを使うことが多く、海外アーティストへのあこがれがかいま見れる。ERIC KAZとか、そこ使いますか?って音楽ファンをうならせたんじゃないかと。
 星野源のアルバムはそんな劣等感がないアルバムなんだと思う。あくまでも、音楽に対してだけど。 星野源のファンは彼がこじらしてるのをラジオやらで知っていると思おうけど、音楽に対しては、こじらしていない気がする。パッケージがうまく、そのこじらせが表に出てないのだろうけど。

 ボブ・ディランの18枚組のCDがザ・カッティング・エッジ1965-1966(ブートレッグ・シリーズ第12集)がでた。『ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム』『追憶のハイウェイ61』『ブロンド・オン・ブロンド』の3枚のアルバムのセッションだけど、兄と話していて、この時代のボブさんはかっこつけてるなあと言っていた。確かに、ボブさんのこの時代、とてもかっこいいし、音もかっこいい。歌詞も難解だけど、イメージの連続でかっこいい。
 でも、ボブさんのプロディース能力か、まわりのプロディースか、影響か、ボブさんの本質は、もっとかっこわるいところにあるのかなっと。その後のアルバムの「欲望」の「sara」とか、聴くと、あーいいなあって思ってしまう。  
 Sara, oh Sara Don't ever leave me, don't ever go
サラちゃん、オーサラちゃんや、行かないで、行かないでよー。
って、勝手に翻訳すると、ほんとうに情けなく、かっこわるい。レコーディングに呼んで目の前で歌って関係修復したって言う逸話もあるので、ちょっと、ずるい歌って感じもするけど。

 10代、20代に音楽を歌詞までひりひりときいた感覚を求めてしまうと、星野源の言葉に僕はそこまでひりひりできない。歳をとったのかもしれないけど、ひりひりしたいなっとおもって、「the ピーズ」の「とどめをハデにくれ」を聴く。一曲目の映画(ゴム焼き)からこの歌詞だ。

風がふいて 
目にホコリが入って
車にひかれて まだ生きてる
痛いと感じる物を さがした

首をしめた オラ首をしめた
遠くまで自分まで ギュウゥとしめた

こんなにいい天気だってのに

わざとへんな フネにのった
イヤなもんを みていた

もういーよ いーよ いーよ いーよ
どっかで消しただよ フラフラんなって 最初から

僕は、この歌詞を聴いて、志賀直哉の「城之崎にて」を思い出した。
ひりひりした。
 
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